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新蔵物語

創業以来、開拓者精神をもって酒造りに勤しんできた梅乃宿。 清酒を巡る環境が大きく変化する中、ブランドコンセプトである 「新しい酒文化を創造する蔵」を体現すべく奮闘してきた「蔵」を巡るものがたり。

新蔵ものがたり 第10回

救世主・ゆず酒に訪れた大ピンチ

「いつまでも吉田暁の個人商店ではあかん」と梅乃宿の体質改善を進め、社長交代を模索していた暁は、社員に対して「65歳で引退する」と出処進退を明らかにしていました。

そんなある日。設定していた交代期限よりもかなり早く、佳代から「社長を継がせてもらいたい」と聞かされた暁は、うれしさと同時に、ひいき目ではなく経営者として冷静に「一番ふさわしい人材だ」と感じたようです。

同時に心に誓ったのは、次世代には、借金を清算してから渡したいという思いでした。ここまでお話してきたように、暁が梅乃宿に養子として入った当時から、梅乃宿は負債を抱えていました。その負債を「何とかしなければ」と最前線で戦い続けてきたのが、他でもない暁自身だったからです。「自分と同じ荷物を、次世代には絶対背負わせへん」というのは、経営者としての暁の矜持であったかもしれません。

借入金返済を目指してさまざまな挑戦をする中でリキュールに活路を見いだし、2008年(平成20年)に発売したゆず酒で本格的に売上が増加。暁が梅乃宿に入って約35年を経て、ようやく経営が安定してきたことは、代替わりの観点でも好材料になっていました。しかし。

梅乃宿のゆず酒の全国的な好調も一助となったのでしょうか。リキュール業界に一大ゆずブームが巻き起こったのです。大手メーカーがゆず風味の酎ハイを出すと大ヒット。当然ながら大手メーカーは、原材料となるゆずを大量に仕入れていきました。

梅乃宿のゆず酒は、たっぷりの国産ゆず果汁を日本酒とブレンドした豊かな香りや風味が特長です。そのため、国産のゆずが手に入らなければ思ったように仕込めません。「大阪では、ゆずこしょうを作る時に皮は使うけど実は使わんらしい。本当に困ったらその実を分けてもらうか」と苦肉の策を考えるほど、ゆず確保は大命題となりました。こうして、農協や業者経由でゆず産地の情報を得ては、現地に向かい買い付け交渉をする日々が始まりました。

ゆずは、夜間と日中の気温差が大きい山間部でよく育ちます。その1つ、高知の北川村にゆずの栽培を推奨したのは、坂本龍馬の盟友として知られる中岡慎太郎だったそうです。この北川村をはじめ多くのゆず産地は、田畑の耕作がままならないような山あいにありました。それでも、国産ゆずにこだわった梅乃宿のゆず酒の味を守るためならと、暁たちは四国や九州をはじめ全国を回り、時には険しい山道に分け入り、現地を訪れる労を惜しみませんでした。

実はゆず酒のあとにも、梅乃宿は原材料確保で何度も危機を経験します。たっぷりの果肉が人気のあらごしみかん(2009年(平成21年)発売)では、作り手の高齢化などにより温州みかんの生産量が減少傾向にあるという日本の農業の現実と向き合うことになりました。また、2017年(平成29年)にあらごしれもんを発売し人気を博した頃には、リキュールだけでなく菓子業界でもレモンブームが起こり、原材料不足に直面することになりました。それでも、「おいしい素材をふんだんに使っているからこそかなう品質」と「国産原材料」へのこだわりがぶれることは一切ありませんでした。国産の良質な原材料を安定確保するために常にアンテナを高くし、日本各地の産地に足を運んでいったのです。こうした確固たる気構えで困難を乗り越え、次々と新しいリキュールをヒットさせることで梅乃宿の経営は安定し、暁の悲願だった借入金返済はもちろんのこと、利益を生み出せる経営体質になっていきました。

海を越え、海外で評価される味と品質

リキュールへの挑戦と同時に、梅乃宿には海外進出という変化も訪れていました。酒類を扱う大手問屋に声をかけられたのがきっかけで、数十社と一緒に、年に二度ほどアメリカの展示会に呼ばれて足を運ぶようになりました。梅乃宿が梅酒の本格製造を開始した2002年(平成14年)のことでした。

しかし、展示会に出たからといって簡単に売れるものではありません。そうした経験を1年2年と重ねるうちに、代理店が力を入れて販売する売れ筋は限られ、その他の蔵は「展示会をにぎわすために数合わせで呼ばれているだけ」「もっと他はないの、と客に聞かれた時に出す程度の扱い」だと気づいたのです。

香港の代理店から声がかかったのは、そんな折りでした。その代理店は、規模こそ大きくなかったものの高級路線に的を絞り、梅乃宿の日本酒とリキュールを扱いたいと明確な戦略を打ち出していました。その頃、いくつかの代理店と商談をしていた暁は、単に声をかけてもらって進出しても効果は薄く、パートナーとなる取引相手を戦略的に見極め、本気度を図る必要があると感じていました。相手のやる気に手応えを感じ、梅乃宿は2005年(平成17年)から香港への輸出を開始します。こうしたさまざまな経験を重ね、アメリカでは日本酒だけでなくおいしいリキュールを持つ蔵という特長を武器に売上を伸ばし、2007年(平成19年)に進出した台湾ではゆず酒が大ヒット。現地にゆずという果物を広く知らしめ、今では「ゆず」という和名が現地に定着するほどの人気となりました。その後も、ドバイ、オーストラリア、韓国、さらに欧州各国やブラジル、アセアン各国へと販路を広げていったのです。

このように、国内だけでなく海外でも梅乃宿のリキュールは高く評価され、売上に貢献していきました。その一方で、低迷を続けていたのが日本酒です。出稼ぎ人口が減って蔵人の確保が難しくなるなど、慣れ親しんできた日本酒造りに容赦なく変化の波が訪れ、蔵の改革は待ったなしとなっていました。

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