新蔵物語
創業以来、開拓者精神をもって酒造りに勤しんできた梅乃宿。 清酒を巡る環境が大きく変化する中、ブランドコンセプトである 「新しい酒文化を創造する蔵」を体現すべく奮闘してきた「蔵」を巡るものがたり。
新蔵ものがたり 第14回
社長就任に向けた、暁からの宿題
「社長になる能力があれば認めるけれど、実力がなければ継がせられない」。社長になりたいと告げた佳代に対して暁が伝えたこの言葉を、佳代は社長就任に向けた宿題だと捉え、何をなすべきかを考えました。
酒に関して学ぶ中で気づいたのは、同じ酒と称されながらも、日本酒や焼酎の業界と、ワインの業界やウイスキーの業界は分かれていて、接点が少ないことでした。「同じ酒業界に携わるもの同士、横のつながりができたらフィールドが広がり面白いのではないか」。酒類が違えば別のものという業界の通例にとらわれないこの発想は、蔵の娘ではあったものの酒業界に関わり始めて間がなく、一般の消費者のような視点を持っていた佳代だからこそできたのかもしれません。
その佳代の気づきを後押ししたのが、あるバーテンダーとの出会いでした。バーテンダーといえばウイスキーやカクテルなど洋酒を扱うプロと思われていますが、そのバーテンダーは料理人でもあり、日本酒についても深い知識や愛情を持った人でした。
その人から「日本酒には、お酒に風味を加えるひれ酒などがある。樽酒や骨酒も同様で、これらは昔から日本で愛されてきた『日本酒のカクテル』だ」と聞いたのです。日本酒を楽しむ場合、別の銘柄を頼むごとに器も替えて供されるのが通例です。それゆえに、日本酒は繊細な味わいをそのまま楽しむものだという考えに陥っても仕方ないのかもしれません。しかしそのバーテンダーの言葉から、日本酒にもフレーバーを付ける文化があったと気づかされ、目からうろこが落ちたように感じ、佳代の心は震えました。
さらに、誘われて足を運んだカクテルコンペティションも、佳代にカルチャーショックを与えました。品評会などの日本酒のコンテストは、利く人に先入観を与えないように、皆が黙ったまま淡々と進みます。それに対してカクテルコンペティションは、カクテルの見た目の美しさに加えバーテンダーのパフォーマンス(所作)も審査するため、華やかで面白く、心躍る楽しい催しだったのです。
「日本酒でも、明るくて楽しいパーティーのようなイベントをしてみたい」。この発想は、バーテンダーの協力も得て、梅乃宿の日本酒やリキュールを使ったカクテルならぬ「和クテル」フェスタという形で実現されました。このように、伝統を重んじつつも慣習に縛られず、梅乃宿の日本酒やリキュールのファンを増やすために新しいことに挑む佳代の姿勢は、その後も変わらず続いていくことになるのです。
2011年(平成23年)に蔵の近くに開店した梅乃屋本舗も、ファン作りのための施策の1つでした。本舗開店前、梅乃宿に直接商品を買いにきたお客さまに対する販売は、事務所の片隅に商品を並べ、手の空いた社員が対応する形で行っていました。吉田家の庭先から梅の木の私が見ていたところ、せっかくお客さまが訪れてくださっても、特に繁忙期はお待たせすることもあり、丁寧なおもてなしとは言えない場合があったように感じました。
「これではダメだ」と、ファン作りのための販売専門部署として立ち上げられたのが梅乃屋本舗です。元料亭として使われていた建物や庭は趣があり、蔵見学に訪れた国内外からの多くのお客さまの間で評判を呼びます。こうして梅乃屋本舗は、梅乃宿を訪れたお客さまがもれなく立ち寄る人気スポットになっていきました。
梅乃宿、120周年記念プロジェクト
佳代がファン作り企画や第13回でお話した職場環境改善などを進めていく中、梅乃宿創業120周年の節目となる2013年(平成25年)が迫り、記念イベントに向けた動きがスタートしました。
企画立案のためのプロジェクトが立ち上がり、責任者を務めることになった佳代は、タッグを組む相手にあえて自分より先輩にあたる1人の社員を選びました。
当時の梅乃宿の社員の大半は、当然ながら暁が採用し育ててきた人材ぞろいです。佳代にとっては先輩や同僚にあたりますが、佳代が社長になれば、立場は先輩・後輩や同僚同士ではなく、社長と社員という関係性に変わります。「能力がなければ継がせられない」と言った暁の宿題に応える意味でも、自ら人間関係の壁を乗り越え、皆から「あの人が社長になるのは当然や」と認められる必要がある、と佳代は考えたのです。
その先輩社員は、佳代にとっては営業を担当していた頃の上司にあたり、かつては佳代が指導を受ける立場でした。しかしプロジェクトでは佳代が責任者になり、立場は逆転します。年下でありながらかつての上司に指示するという二人の関係性を横から見ていて「かっとうがあるんだろうな」と感じていたのが、後に部長となる田中です。田中の脳裏には、佳代のデスクに置かれていた年上の部下との付き合い方といった本の記憶が残っているそうです。
こうした難しい関係性にある社員と、あえてプロジェクトでチームを組み、佳代は積極的に関わりを持っていきます。企画を進めるにつれて共に過ごす時間は増え、ひざを割って話すことも必要になります。荒療治ともいえる佳代のこの決断は功を奏し、お互いが信頼を寄せ合えるようになった頃には、プロジェクトは順調に回り出していました。
こうして迎えた120周年イベントで梅乃宿は、梅乃宿の未来に関わる3つの大指針を打ち出します。発表されたその内容は、参列者を少なからず驚かせるものでした。