酒を造るということは、日本の文化を継承するということ。 酒文化の伝道する梅乃宿のポリシーをご紹介します。
SEASON 04
梅乃宿ストーリー
第6回 【若き清酒の作り手たち】経営と現場をつなぐ要として
社員による清酒造りをスタートさせた梅乃宿で、蔵人としての経験を生かし、蔵元(経営)と蔵人(現場)をつなぐ要の立場を担っているのが取締役でもある製造部 部長の桝永さんです。「今、まさに力をつけている真っ最中」と語る清酒造りへの思いを聞きました。
製造部 部長:桝永 剛
———酒造りとは縁のないお仕事からの転身だそうですね?
家業が九州の時計屋で、九州の大学に進学。その入学式で現在の社長の妹と出会いました。入学式なので互いの両親も居合わせ、偶然「よろしく」とあいさつを交わしてはいましたが、後に結婚するとなった時も今も「そんなつもりであいさつをしたわけではなかったんだけど」と妻の両親にはことあるごとに言われています。
卒業後の遠距離恋愛を経て妻は九州に嫁いで来てくれ、梅乃宿の九州営業所の営業所長になり、僕も時々は手伝っていました。こうした縁で、大学当時から現在まで、梅乃宿の酒の味の変遷を知っているのは、偶然とはいえ自分の1つの強みかなと思っています。
実は僕は跡取り息子だったので、家業を継ぐ形で就職しジュエリーの販売を担当していました。
ジュエリー販売では、自分が直接製造に携っていないものを売ることになりますよね。そのため、お客さまにお勧めする時に、説得力のなさを感じていたのは事実です。自ら造りに関われる酒蔵の仕事に魅力と興味を感じていたので、30歳を前に「梅乃宿に入りたい」と親に伝え転職しました。
———日本酒のどんなところに魅力を感じたんですか?
九州というと焼酎のイメージが強いかもしれませんが、僕の場合、昔から飲んでいたのは日本酒でした。「原料はお米。それなのに日本酒のあの香りはどうして生まれるんだろう」など、素人ながら日本酒造りの複雑さに魅力を感じていました。
ジュエリー販売をしていた時も、酒造りへの興味が消えることはありませんでした。30歳手前で梅乃宿の蔵人として働き出してからは、杜氏の指示を受けて行う蔵の仕事はどれも興味深く、「なぜこうするのか」を自分なりに調べて理解するのも面白かったです。外部の研修や勉強会にもどんどん参加させてもらえる環境なのもありがたかったですね。
そうやって現場で経験と技術・知識を積み重ね、今は蔵元(経営)の考えを踏まえながら、日本酒製造の進捗(しんちょく)や意見・雰囲気を見聞きし、現場が働きやすい環境になるように心掛ける立場を任されています。
もちろん、管理職の仕事だけではなく好きな酒造りに触れていたいので、現場にはほぼ毎日入り、実作業を手伝い、蔵人とのコミュニケーションも図っています。
———杜氏(とうじ)制度を廃止し、社員による清酒造りを始めて感触は?
現場で働く蔵人は、予想をはるかに上回り、酒造りを自分事としてとらえ動いてくれています。点数をつけるなら、全員に120点と言いたいですね。
かつて蔵人の仕事といえば、深夜勤務や泊まり込みなども珍しくありませんでした。そこで、杜氏(とうじ)制度の廃止を機に勤務体制を整えるなど、蔵人の体力的な負荷を減らす取り組みを行ってきました。今では、他部署と同じく定時での出退勤が定着しています。
負荷が減り時間的余裕ができたことで、みんなのんびりするのかなと思っていたところ、逆に今までよりも仕事のスピードが上がり、先輩に対してでも「これはこういう理由でこうしたいから」と、業務中もいい意味で意見をぶつけ合っている姿をよく見かけるなど、仕事内容も濃くなっていると思います。
ほかにも、蔵見学にいらしたお客さまへの対応だったり、時間が空くと指示されなくても率先して掃除をしていたり。率先して動いてくれているのを感じます。
———蔵元である吉田家の一員でもあり、取締役でもある立場から、感じていることは?
まず、蔵元一家の一員なので特別視されるのではと思われるかもしれませんね。でも僕は、カッコつけたり体裁を整えたりせず、あるがままで接すれば信頼関係が生まれると思ってやっています。
そして、今は取締役ですが蔵人出身ですから、蔵元の立場も、蔵人の気持ちも分かるのが持ち味だと感じます。経営と現場の両方が見える分、バランスを取るのは難しいわけですが、持ち味を生かして経営と現場の橋渡しになれるのが自分の強みであり、武器だと思っています。
一例を挙げると、上司に決済を求める稟議(りんぎ)書。蔵人が書類を作成した場合、立場から言えば僕が受け取り、経営陣に回すのが通例です。でも、僕はあえて「自分で社長に持って行ってみたら」と勧めたりします。蔵人が経営陣と直接会話する機会が増えればいいなと思っていますし、そうした経験を通して蔵人に自信をつけていってもらえたらとも考えています。
———酒造りのやり方を変えることに対し、営業側の反応はどうでしたか?
前杜氏は伝統的な杜氏のこだわりを持ちつつ、酒造りをデータ化するなど柔軟性を併せ持つ方だったと思っています。その杜氏のもとで成長し、経験値を積み重ねてきた蔵だったから、社員による今の酒造り体制を構築できたと感じています。
もちろんやり方をがらりと変えて酒造りを始めるわけですから、当然、営業は「大丈夫か?」とかなり不安だったと思います。
不安を取り除くには外部の評価が必要だと感じ、いくつかのコンテストに出品。平成29酒造年度全国新酒鑑評会では金賞を受賞することができました。
市場ニーズをとらえて「こういうお酒を造ってほしい」と営業から要望されるものもありますが、今は逆に「こういう意図でこう造った」と現場のもくろみを伝えるものもあり、現場発のそうした姿勢は営業からも評価されるようになってきています。
———今、日本酒に求められているものをどうとらえていますか?
若い方を中心に甘いお酒が好まれるなど、お酒の好みは変わってきています。また、「モノ消費」から「コト消費」へ、といった傾向はこの業界にもあり、味や造り=モノにこだわり過ぎると、市場が求めているものとは離れてしまうようにも感じます。
それよりも、お店で飲んで飲みやすかったからまた飲もうとか、面白そうなラベルだからパーティに持っていこうとか、そういうコト視点が若者層には刺さるのかもしれません。
そうした意味で、お酒プラスαでどんな楽しみ方を提供できるかも模索していきたいですね。
———現場からも、新しい提案が出てきているそうですね。
蔵人からは、いろいろな意見・提案が出てきています。酒造りの工程として当たり前にやっていたことを一度疑ってみて「これは省いてもいいのではないか」とか、逆にあえて手間のかかるクラシックな造りをやってみてはどうかとか。梅乃宿の清酒造りは、今まさに変わっていく過程、力をつけるためにチャレンジしている最中だと思っています。
社員による酒造りを開始し、自分たちで考えた方法を造りに生かせるのは楽しいです。もちろん、狙っていたのとは違う酒になってしまうという失敗もありますが、社長は「失敗してもいい」と言って背中を押してくれていますし、そうした失敗も、経験値の1つとして力になっていると感じます。
2000年に入る頃、日本酒業界全体が不振に陥っていた時に、梅乃宿は清酒で漬ける梅酒を皮切りにリキュールを手掛けるという挑戦をして業績を伸ばすことができました。その気風を忘れずに、これからも新しい酒文化を創造する蔵として、型にはまり切らないけれど文句なくおいしい、と言われるお酒を醸していきたいですね。