梅乃宿とは
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梅乃宿のパイオニアたち

酒を造るということは、日本の文化を継承するということ。 酒文化の伝道する梅乃宿のポリシーをご紹介します。

SEASON 02

酒造りの担い手たち

vol.11 酒母は、元気でやんちゃがいい。

02-01

清酒製造課 主任 桝永 剛

大分で宝石や時計の販売を営む家に生まれ、大学卒業後は実家の仕事を手伝っていました。その頃から日本酒製造に興味があり、20代も終わる頃、思い切ってこの業界に飛び込むことを決めました。もともと販売よりもものづくりが好きで、時計の修理をしたり、修理をするための道具をつくることに楽しさを感じていたこと。さらに、人がつくったものをお客さまに勧めるよりも、自分がつくったものを勧めたいという強い思いが転職の決め手になりました。現在は憧れていた蔵での仕事に従事していますが、時計の修理の師匠に言われた「臆病になりなさい」という言葉を胸に、わからなかったら立ち止まってたくさん考え、理屈がわかるまで観察して理解することを大切にしています。

蔵では、小さなタンクで酵母を培養して大量に増殖させる酒母(しゅぼ)の責任者を勤めています。酒母は「もと」ともいわれ、文字通り「酒のもと」をつくる大切な工程です。酒母は甘いお米のおかゆのようなもので、放っておくとすぐに腐ってしまいます。それをいかに腐敗ではなく発酵に導いていくかが、責任者の大きな役割になります。梅乃宿では酒母が腐敗したことはありませんが、だからこそ気を抜くことのないよう、常に緊張感を持って酒母づくりに挑んでいます。

自分にとって酒母は、5〜6歳の子どものイメージ。将来どんな大人になるか想像できないのですが、口うるさくしつけるのではなく、元気でやんちゃな子でいてくれるように大らかにしつけて、次の工程に引き継いでいきたいと考えています。お酒によって酒母はすべて異なるため、それぞれ見た目や性格も違います。色白で女の子っぽい酒母もあれば、少し色があって男の子っぽい酒母もあり、一つひとつを擬人化し、成長に期待する親のような気持ちで酒母を見守っています。

入社後、すぐに東北の蔵元に修行に行き、梅乃宿との違いを経験する機会がありました。そこは出稼ぎ杜氏と職人集団が酒造りをしている蔵で、蔵人が淡々と自分の仕事をしている雰囲気を感じました。それに較べ、梅乃宿は蔵人が若いため、みんなで相談して酒造りを進めることができ、それが蔵の活気につながっています。蔵人は、杜氏がどんなお酒を狙っているのかを大まかには理解していますが、細部の細部まではわかりません。しかし、わからないことを杜氏に聞ける環境が整っていることも、梅乃宿の強みの一つだと考えています。

大分で宝石を売っていた頃、プラチナよりもシルバーの方が高いと思っている若い人が多いことに驚いた経験があります。この業界に入って、日本酒と焼酎の違いがわからない若い人がたくさんいることも知りました。このため、蔵見学など、お客さまと話す機会には、できるだけわかりやすい説明を心がけています。日本酒は、機能品ではなく嗜好品であるため、個人の味覚や感覚が好き嫌いに大きく影響します。だからこそ、説明にわかりやすさが必要なのではないかと思うんです。売るものは異なりますが、販売の経験を少しでも梅乃宿のファンづくりに活かせていけたら嬉しいですね。

将来は、杜氏が自由に日本酒造りに挑めるように蔵人全員が成長し、それを支える責任者になりたいと考えています。そのためにも、さらに多くの経験を積むことが、当面の目標です。